フロアはぎゅうぎゅうに詰まっている。
ドライアイスの煙が膝下を這い、レーザーが刃のようにその粒を裂く。
入口で渡されたショットはもう手元にない。
全員が喉を焼き、静かに待っている。
DJが手を離した瞬間、音は完全に途絶える。
静寂。
観客の呼吸音と氷の溶ける音だけが場を支配する。
次の刹那、イントロが落ちる。
Eminem──Lose Yourself。
踊るためではない。
ビートは心拍と同期するための刃。
ヴァースはフロアを挑発するための告知。
「今しかない」というフレーズが壁を震わせるたび、
観客は自分の過去と未来を同時に切り落とされていく。
そのビートの上で標本台に載せられる「綺麗事」という言葉の膜。
スクリーンに光る。
お品書き
前菜｜努力は報われるのカルパッチョ
薄膜を剥ぐ。未払い残業の数値が赤く浮かぶ。
スープ｜夢は叶うの還元液
奨学金と自己破産の灰が底に沈む。
魚料理｜優しさは必ず伝わるのマリネ
ブロック画面の静寂を低温処理。
肉料理｜みんなで幸せにのコンフィ
乾杯の泡が消えた跡に割り勘の不均衡。
デザート｜未来は明るいのグラサージュ
表面だけ光る糖衣の中は空洞。
解体
第一切片──努力は報われる
努力という薄膜が裂かれる。
溢れ出すのはタイムカードの欠損、統計に吸収された生命。
報酬は幻、報われた例は編集済みの広告だけ。
Lose Yourselfのリズムが削がれ残るのはクリックと低音。
第二切片──夢は叶う
夢を煮詰めた液体から奨学金返済の通知と声優志望の履歴書が浮かぶ。
叶った夢すら利息に縛られ叶わなかった夢は廃棄物となる。
ヴァースは途切れ歪んだベースだけが残る。
音は踊らせるものから重りへと変わる。
第三切片──優しさは必ず伝わる
裂け目から零れるのは無視されたメッセージと閉ざされた部屋の匂い。
優しさは麻酔であり切れれば痛みは倍増する。
ここで轟音が混ざる。
ギターの壁。いつの間にかEminemは消えMy Bloody Valentineの「Only Shallow」に溶け込む。
音の壁は観客の境界を溶かしフロア全体が一つの肉塊のように震える。
第四切片──みんなで幸せに
乾杯の泡が消え笑顔の写真だけが残る。
そこに写っていない欠落者は「参加者」として数えられる。
幸福の構図は欠損を覆い隠す技術の名前。
MBVの轟音がさらに強くなり言葉を圧殺する。
観客の視界は霞み音に飲み込まれる。
第五切片──未来は明るい
照明を外せばただの暗室。
ポスターの標語はインクの跡に戻り希望は印刷物のノイズとして剥がれる。
未来は光ではなく誰かの露出オーバー。
音はもはや曲ではない。
ホワイトノイズの轟音、全周波数が飽和し、耳鳴りだけが残る。
観客は立ち尽くし鼓膜の内側で自分の血流音を聴く。
結末
煙が濃く呼吸すら困難になる。
スクリーンに字幕が浮かぶ。
綺麗事は鎮痛。
鎮痛は真実の触れ方を奪う。
照明が一度完全に消える。
沈黙。
誰も動かない。
ショットの熱だけが口内に残る。
アンコール
突如フロアに重低音のドラムが落ちる。
マリリン・マンソン──The Beautiful People。
ホワイトノイズの残響を踏み潰すように。
スクリーンに浮かぶのは目次にない一行。
アンコール｜純粋の切開
観客は息を詰める。
刃はまだ振り下ろされない。
だがフロアは既に支配されている。
心拍はマンソンのリズムに強制的に同期する。
解体は終わらない。
渋谷の深夜は欲望を一つずつ切り分けるために延長される。
出口はどこにも示されていない。
THE NEXT CUT: PURITY
